第 1 6 話   「 楽 園 の 君 へ 」
─ そ の 1 ─




「……」
 現実世界に引き戻されたボリスは、ふと左手の甲に残るスミレのひっかき傷を
見つめた。スミレとの別れ際にひっかかれた傷は消えることなく残っている。
「『命にかえても守る』……か」
 そう呟き、自嘲的に笑う。
「私は最低な父親だな」
 ボリスはその傷から目をそらし、再びステンドグラスのオレンジ色の輝きに目を
やった。

 フワリ……
 銀色の光がボリスの目の前を通り過ぎる。

「父さんッ!」
「お父様ッ!」
 その声にボリスは驚き、立ち上がった。
 いつもの2人の定位置である白いグランドピアノを振り返る。そこに、居るはずの
ないラリスとリリスがいたのだ。
「ま〜た何を暗い顔をしてるのさ?」
「いつも私たちには『笑って』って言うのに」
 ピアノの前に座るラリスとリリスは笑っていた。
「……わざわざ遠いところを会いに来てくれたのか」
 ボリスは精一杯笑った。2人に一歩、また一歩と近づく。お互いに悲しい顔は見せら
れない。
「うん、最後……だから」
「会いに来たんです」
 ラリスとリリスはボリスに抱きついた。
 2人の体は透けて、今にも消えそうだった。きっと、最後の力でここまで思いを伝えに
来たのだろう。消えゆく2人の体をボリスはそっと抱きしめる。
「父さん、ありがとう」
「お父様、ありがとう」
 ぬくもりを残して、ラリスとリリスはボリスの前から姿を消した。
 ボリスはしばらく2人を抱きしめる格好のままでいたが、やがて立ち上がると再び
玉座に腰掛け、そっと目を伏せた。手で顔を覆う──。










 場所は戻って、ここは──闇の世界、ダーナ神殿。


 残酷なほど優しく暖かく、闇の世界を包んだ銀色の光は数を減らし、そして
消えた。
 ラリスとリリスの演奏が静かに終わる。

 均衡は保たれ、崩壊の危機が去った闇の世界は再び静寂を取り戻した。

 パイプオルガンの前に座る2人の体が演奏終了と同時に崩れ、魂が抜かれた
ようにドサリと床に倒れた。
「ラリス! リリス!」
 ダーナの張っていた結界が消える。エレナはラリスとリリスのもとへ駆け出した。
「終わった……か」
 バファンが無表情で呟き、エレナの後を追う。ガミガミ魔王は一歩も動かずに
パイプオルガンに背を向けあぐらをかいて座り込み、扉を開けてくれた兵士は
辛そうに広間を見つめ、闇の王ダーナは表情1つ変えることなくその場に佇ん
でいる。世界は救われたのに、誰も喜んではいなかった。
 エレナは2人の前に座り込んだ。
 血の通わない真っ白な顔、眠るラリスとリリスはどんなに体を揺らし、呼びかけても
目を開けることはない。
 ──もう、2人の笑顔は見れないのだ。
「……何もしてあげられなくて、ごめんね」
 エレナの目に涙が浮かび、頬を伝わる。
 バファンはエレナに対し、言葉を探していたようだったが、結局何も言えず、エレナ
の数歩後ろに立っているだけだった。

 エレナはさっきまで演奏をしていた2人の手を握った。
 ラリスとリリスとは、出会ってからまだほんの数日しかたっていないけれど、ここまで
来るのに本当にいろんなことがあった。


「こんな終わり方はダメです!」
「ん。和解するべきだ」

「よろしく、ねーちゃん!」
「よろしくお願いします、エレナ様」

「天空の城の双子を知らないなんて、覚えとかないと後悔するぜ」
「私はリリスで、こっちはラリス。・・・・・・それで、あなたのお名前は?」

「いちいちつっかかってくるなよ、妹のくせに!!」
「なっ! そっちが弟でしょう!」

「ハーピエルッ!!」
「幻影をみせる歌声ッ!!」
「「会ってみたい〜〜!!」」

「んま、失礼! 天使って言っていただきたいですわ」
「じゃあさ、オジサンとナルシア王妃もくっつくの?」

「ねーちゃん、短い間だったけどありがと。楽しかったよ」
「これで私たちから解放されてまた海へ旅へ出られますね」

「エレナ様、会いたかった……」
「まっさか、ここまで追いかけてくるなんてな」


「「このメロディーが、どうかあなたの心に届きますように……」」




「「さようなら」」



 『バファンの剣』をめぐる大事な航海の最中にピエトロから呼び出され、呼び出さ
れた理由が『2人の子供のお守り』。最初はエレナもかなり腹が立ったが、今では
ラリスとリリスに出会わせてくれたことに感謝さえしている。
 世界は救われた。凶暴になりつつあったモンスターたちもおとなしくなるだろう。
そこに2人の犠牲があったことを知っている人は、いないに等しい。その中を、
人々は生きていく。
 知らなかったら、笑って生きていけただろう。でも、知ってしまったから、エレナは
この先笑顔で生きていける自信はなかった。

 コツ コツ コツ コツ……
 しんッと静まり返る神殿内に一つの足音が聞こえた。その足音はエレナの背後で
止まる。
「……終わったわね、ウサギさん」
 その声にエレナはうつろな目で振り返る。そこにいたのは永遠の番人だった。
「良かったわね、あなたの永遠が続いて」
 嫌味半分なエレナの言葉に、永遠の番人は言い返さなかった。
「さあ、あなたたちの世界への扉を開くわ。2人の亡骸をつれてお帰りなさい」


「私……帰らない」
 エレナはそっと呟いた。


「「はぁ!?」」


 バファンとガミガミ魔王が驚きの声を上げ、エレナに聞き返す。
「おい、今なんて……?」
 
 エレナは立ち上がり、キッパリと言い切った。

「私は帰らない、と言ったのよ。
 小さな子供2人を犠牲にして救われた世界で
 私は生きたくなんかないわッ!」







  



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送